鉄オタの中でも『降り鉄』そして『乗り鉄』の横見浩彦さん

オタクと呼ばれる、ある分野に関して異常な執着心と熱意を持って徹底的に追求していく・・他のものは一切受け付けずに突き進むのをいわゆる「オタク」といいますね。オタクも今ではかなり細分化されていて、単に「オタク」と言ってもじゃあなんのオタクなの?!と聞かなくては、その人がはまっているオタクを知ることができません。

「アニオタ」といっても、アニメの種類もとんでもないほど種類があるので、「アニオタ」とくくるだけではもはやムリ!!というほどです。もちろん自称オタクといいながら、実際にはそこまでかいっ?!という「な~んちゃってオタク」もいるので、その分野の人から言わせると「あの程度でオタクじゃねぇっ!!」とがむしゃに、自己の追求を極めているオタクは自分の追及したオタク道にかなりのプライドを持っています。

ROAD TO OTAKU

「オタクへの道」と題して、オタクについてどのような過程を経て、オタク道への道を歩みだしたのでしょう。赤ちゃんとして生まれて、成長していく過程で興味が湧き出るものに出会い、その出会いを経てどんどん興味のあることを調べていく・・・・その道こそが「ROAD TO OTAKU」「オタクへの道」であります。

「オタク」であることを認め、オタクの道を突き進んでいく人生もいいじゃないか?!人に迷惑をかけるのは論外ですが、自分の趣味で人に迷惑をかけずに楽しみを追求していくのは、人生の歓びに繋がります! 人に迷惑をかけて突き進むのは、オタク道としてはダメです。それは身勝手というものです。自分の趣味をどんどん突き進めて生きる喜びにつながり、中にはそのまま職業へつなげていくのはなんと素晴らしい人生なのでしょう~~!! 人生に勝敗などありませんが、自分の趣味をそのまま仕事にしている人たちというのは、なんと幸せな人なんだと思います。そんな人たちは、人生はもちろんのこと日常の生活も、輝いていることでしょう~☆

目がキラキラ♪

鉄道模型系のイベントが開催されていたので、ちょっと暇つぶしに行ってみよっかなぁ~と出かけたことがあります。なぜあの日あの場所へ出かけたのか分かりませんが、おそらくヒマだったから?!それとも鉄道に興味があったから?!

余談ですが遠おいとおーい記憶の中に、幼稚園の記憶がありますが幼稚園の中を、鉄道模型が走っていたのを妙に思い出します。おそらく4歳?5歳?そんな年齢だったとおもいますが、トイレの上の方にも電車が走っているのが鮮明に今でも記憶に残っているので、きっとそこの園長は「鉄オタ」だったのかも?!と、ふと思い出しました。

鉄道模型系のイベントに出かけたときに、もちろん子連れの親子連れがたくさんいて会場にはジオラマの中に電車が走っていました。ジオラマも本当にとても精巧にできていて、運転することが可能なブースには長蛇の列。あんなすごい鉄道模型を運転することができるなら、それは並ぶの苦にはならないでしょう~~! それほど気合の入ったジオラマでした。

そこで興味を覚えたのは、イベント主催者側のスタッフです。ジオラマ作成中の様子も公開していますが、とにかく目がキラキラ♪と輝いています。ジオラマを作っている人はもとより、何か鉄道模型を修理している人たちもそうです。来場者よりも、イベント主催者のスタッフたちのとてつもなく楽しんでいる様子は、好きな事がそのまま仕事になっているから「オタク」としての理想像はもちろんですが、ひとりいの社会人としてもとても羨ましく思います。好きな事をして、それでご飯が食べれるなんてもうこれは最高じゃないですか?!

研究者ももちろん好きなことを追求した結果が研究者としての道、「オタク」とは言われないのは「研究者」だからです。でもやっていることは、「オタク」と一緒で自分の興味のあることを徹底的に追求していく面ではまったく同じこと。研究者の場合、研究の内容にもよりますが「成果」を求められると、ジオラマ作成者のように純粋に作る喜びとはまた違ってくるかもしれませんが、それでも研究者も「オタク道」と根幹の部分で同じです。寝食忘れるほどまでに没頭できるものがあるのは、とても良いことです。いきなり「寝食忘れるまで没頭できる好きなことや興味のあるもの」が簡単に見つかればいいのに。。。

てっちゃん

まだ小さい頃に、男の子などがプラレールにはまったり、機関車トーマスにはまったりと電車系好きになる子ども達がいます。ヒーロー系に目を輝かせる幼児ももちろん大勢いますが、木のおもちゃ以外の積み木などの次に一般的に与えられる玩具が「トミカ」の自動車系や「プラレール」の電車系が多くなっています。

パパが車大好きパパなら、迷わずパパはプラレールを買うよりもいろいろなミニカーを買い与えるでしょう。そしてパパが電車大好きなら、どのプラレールの車両を買おうかなぁ~と目をキラキラさせて買うことになると思います。両方ともあまり興味がなくても、おもちゃ屋さんへ行けばクリスマスプレゼントかなにかで何かしらの玩具を買うことになりますが、電車に乗ったときに子供が大喜びして「この子がそんなに喜ぶなら・・」と、パパの内心では本当は車好きになってほしいんだけど。と思いつつ、子供が興奮するもの興味を抱くものを少しずつでも買っていくと思います。

「てっちゃん」というと、鉄や哲がつく名前を省略して呼んでいるのかなぁ~と思ってしまいますが、子供の「てっちゃん」は子供の名前を省略して呼ぶことももちろん多くありますが、その他に「鉄道大好き」子供のことを「てっちゃん」と呼ぶんですね。4歳児に対して「鉄オタ」というより「てっちゃん」と呼ぶほうが断然可愛いしですよね。幼稚園児に「○△くんって鉄オタだよね~」というより「○△くんって、鉄ちゃんだよね~」のほうが、イメージもよろしい。電車にいろいろ詳しくて、電車の話をすると、目をキラキラさせるかわいい子ども!!!そのまま鉄オタの道を進んで行っておくれ~~~っ!!

鉄子

「てっちゃん」が子どもの電車好きなら、「鉄子」は女性の鉄道オタクバージョンが「鉄子」になります。「ソフ鉄」なる言葉もあって、「ソフテツまたはソフ鉄」になると、ソフトな鉄道好きになりますが、ソフ鉄には男女ともにつかえる言葉になりますね。

「山ガール」みたいに「鉄ガール」だとあまり可愛い呼び方ではありませんが、ある「鉄オタ」が提唱した呼び方はなかなかユニークです。その呼び方は『レールクイーン』。なかなかいいでしょ?!鉄道のレールと女性を髣髴させるクイーン。鉄ガールよりもレールクイーンの方が呼び方はステキです。但し、誰もかれも「レールクイーン」を言ってはいけないとか・・・。若くて可愛くないとだめだとか。鉄道には少しの知識と鉄道に興味があることはもちろんのようです。

『レールクイーン』という呼び方を提唱したのは、鉄オタの横見浩彦(よこみひろひこ)さんです。鉄オタなら知らない人はいないといわれている存在で「鉄オタ」のなかの「乗り鉄」なる、実際に列車に乗ることに喜びと楽しみを見出している「鉄オタ」のまさに神のような存在の横見浩彦さんがネーミングしました。

「乗り鉄」の神と言われるだけあって、この方が有名になったキッカケが素晴らしい!!ごく普通に少年時代は電車好きの子供としてそのまま成長して、最初は法律家としての道を志したけど途中で自分の才能に見切りをつけて、仕事に就くタイミングを逃してしまいます。でもバブルという時代が訪れたので、仕事さえ選ばなければ食べていくことはできる時代だったのフリーターとして、仕事してお金を貯めてそのお金を軍資金として旅に出る。という生活を送っていきます。最初はちょっとした旅行からスタートして、だんだん期間が長くなって、北海道は山奥で住み込みで冬をこしたり、夏は沖縄の西表島で1ヶ月というように旅の期間がヨーロッパのバカンススタイルになります。

あー羨ましい。大学時代のようじゃないですか?!このライフスタイル・・・。養鶏所とかで住み込みでバイトして衣食住を確保して、3週間そこでお金を貯めて軍資金を手に北海道を好きなだけ見て廻るとか、夏休み住み込みで旅館で働いて、こちらでも衣食住が確保できるので、朝は旅館の掃除や布団の出し入れをした後に、サーフィンしに海へ行って夕方にまた旅館で働いて・・という日程を1ヶ月過ごしてお金を貯めてその軍資金を手に、今度はバリでサーフィン三昧の旅に出る。とか。もちろんこの養鶏所や伊豆の旅館の話のようなことを横見さんがしたという話ではありません~

ヨーロッパのバカンス並みのように、横見さんの旅の期間が長くなっていくうちに横見さんは今度は「アウトドア」の楽しさに開眼します。そこで無料キャンプ場にテントを張って、お風呂は無料で湧いている温泉に入り、川で魚を釣りその魚を食べる。そりゃ楽しい毎日でしょう。すっかり夏のすごし方のライフスタイルが身についた日々を送っているときに、「よし!駅巡りをしようじゃないか!」ということからスタートしたのが、「乗り鉄」になったキッカケのようです。そこからあれよあれよという間に、『鉄子の旅』シリーズにまで発展してアニメ化されるようになるんて、このときには想像もしていなかったことでしょう。

鉄子の旅ができるまで・・・

ノンフィクション漫画の『鉄子の旅』が連載されていたのは平成14年(2002年)~平成18年(2006年)までのことです。連載されていたのは小学館『週刊ビッグコミックスピリッツ増刊IKKI』と『月刊IKKI』です。そして漫画で旅のナビゲーターとして登場するのが、横見浩彦さんです。

夏はすっかりキャンプ生活というライフ生活を送っていて「よし!駅巡りをしようじゃないか!」と思いたったのは、横見さんが30歳の時のことです。安比高原にスキーのために訪れていた時のこと、安比高原の駅で列車待ちのために、しばらくの間待つことになりました。待っている間に暇つぶし・・とばかりに駅の構造をメモ用紙に書いてみると、それがとても面白く描けていることに気づいて、それならば・・ということで駅を降りてメモ用紙に書くという、そして駅を降り立つという繰り返しを3年8ヶ月続けて、遂にその日がやってきました。

全駅下車

安比高原での待ち合わせの時間に、暇つぶしを兼ねて駅の構造をメモ用紙に書き始めたことからスタートした横見浩彦さんの『駅めぐり』のゴールは、平成7年(1995年)10月29日因美線の美作河井駅でJR全線全駅下車達成となりました。降りた駅の数がどのぐらいかというと、その数は4,636駅です。

すごい数になりますが、JR全線全駅下車という自分に課したミッションを終えて、そのまま以前と同じようにフリーターの生活を続けている中で、せっかくここままでJR全線全駅下車したんだから、この体験を本にして出してみよう!と本を執筆します。

そしてJR全線全駅下車をまとめた本が【乗った降りたJR四六〇〇駅】です。この本が出版されたのは、新人物往来社(現在角川グループのひとつ)因美線の美作河井駅で4,636駅を達成してから約3年後の平成10年(1998年)11月のことでした。そしてこの本がライターとして、横見浩彦さんのライターとしてデビュー作品となりました。

この本を出版したことで、横見さんの人生は大きな転機となります。平成12年(2000年)ごろに、本屋の書泉グランデで月刊IKKIの編集長が【乗った降りたJR四六〇〇駅】を読みます。そしてイシカワという編集者にこの本のことを話すと、イシカワも【乗った降りたJR四六〇〇駅】の本を偶然にも知っていました。大いに編集長とイシカワは【乗った降りたJR四六〇〇駅】の話で盛り上がります。ふたりの話が盛り上がったことで、そうだ。この横見と組んでエッセイとかコラムとかやってみたら面白そうじゃないか~!ということになりました。

【乗った降りたJR四六〇〇駅】の著者の横見浩彦さんと、月刊IKKIの編集長そしてイシカワで会うことになります。するとその場で横見浩彦さんの方から提案がありました。その提案こそが「鉄子の旅」となるものです。「横見と編集そして女性漫画家とで、鉄道を旅するルポ漫画」というものでした。決まりです!!もともと編集長がずっと鉄道漫画をやりたいと心に思っていたこともあって、この提案にGOとなり「鉄子の旅」の連載が決定となり、イシカワは「鉄子の旅」の初代担当編集者となり、漫画の中で「イシカワ」として登場することになりました。

そして旅が大好きで、鉄オタとしての生活を十分に満喫していた横見さんは、旅行の立案者としてすべての旅に同行する「鉄子の旅」の案内人となりました。